水俣病に関する人権問題
「水俣病」とは、水俣にあるチッソ水俣工場から排水と一緒に毒性の強いメチル水銀が水俣湾に流され、それが魚介類に取り込まれて、その魚介類を長い間たくさん食べたことにより発生し、昭和31年(1956年)5月1日公式確認された公害病です。
水俣病の主な症状としては、両手両足の感覚が鈍くなる、動きがぎこちなくなる、目が見える範囲が狭くなる、耳が聞こえにくくなる、言葉がはっきりしなくなるなどがありますが、発生当初の症状が重い人は、けいれんを起こしたり、意識不明になって亡くなることもありました。
また、妊娠している母親の体内に入ったメチル水銀が、へその緒を通じて胎児へ取り込まれ、生まれながらに水俣病の症状をもった赤ちゃん(胎児性水俣病患者)もいました。
まだ水俣病の原因がわからなかった頃には、伝染すると誤解され、患者が出た家庭には人々が近づかなかったり、水俣出身者が就職や結婚を断られたりするといったことも起こりました。
水俣病の原因がメチル水銀だとわかっている現在でも、水俣出身者への不適切な発言はあり、患者や家族、さらには、水俣の人々の苦しみは続いています。
水俣病は、メチル水銀による中毒であり、人から人へうつることはありません。また、遺伝もしません。現在、水俣湾の魚介類は県の調査によって安全が確認されています。
私たちも、水俣病に対する正しい知識をもち、被害を受けた方々の視点に立って考えることで、水俣病に対する偏見や差別をなくしていくための努力をしていかなければなりません。
■分野別人権問題への取組